2014年度以降のニュース
「野洲川下流域の弥生遺跡」HPの「意見の広場」に
「下之郷遺跡もミステリー」を新しく掲載しました(12月21日)
伊勢遺跡はミステリアスな遺跡ですが、下之郷遺跡も不思議なことや珍しいことが一杯です。
このような情報を「下之郷遺跡もミステリー」としてまとめました。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下之郷遺跡もミステリー」
このような情報を「下之郷遺跡もミステリー」としてまとめました。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒ 「下之郷遺跡もミステリー」
「野洲川下流域の弥生遺跡」のホームページを公開しました(10月28日)
活用団体の方々が活動している下之郷遺跡は弥生時代中期の日本屈指の国史跡です。
少し離れて、卑弥呼の倭国形成に働いたと考えられる、弥生後期の国史跡 伊勢遺跡があります。
これら2つの國史跡〜伊勢遺跡と下之郷遺跡を育み、その基盤を築いてきた野洲川下流域の弥生遺跡群の歴史と意義を紹介するホームページを公開しました。
野洲川下流域にどのような弥生遺跡があり、どのように素晴らしい遺跡であるのか、それが弥生時代を通してどのように後の時代に影響してきたのか、全貌を紹介しています。
なぜこの地に下之郷遺跡と言う巨大な環濠集落が生まれ、その力を基盤にして伊勢遺跡が現れるのか、また、弥生時代からヤマト王権に移る時代、卑弥呼の倭国形成を主導した伊勢遺跡は、いかにしてその力を得たのか、野洲川下流域の弥生遺跡から読み解くことができます。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒
これら2つの國史跡〜伊勢遺跡と下之郷遺跡を育み、その基盤を築いてきた野洲川下流域の弥生遺跡群の歴史と意義を紹介するホームページを公開しました。
野洲川下流域にどのような弥生遺跡があり、どのように素晴らしい遺跡であるのか、それが弥生時代を通してどのように後の時代に影響してきたのか、全貌を紹介しています。
なぜこの地に下之郷遺跡と言う巨大な環濠集落が生まれ、その力を基盤にして伊勢遺跡が現れるのか、また、弥生時代からヤマト王権に移る時代、卑弥呼の倭国形成を主導した伊勢遺跡は、いかにしてその力を得たのか、野洲川下流域の弥生遺跡から読み解くことができます。
是非ご覧ください。 こちらから ⇒
読売新聞で「弥生織りの会」の原始機が紹介されました(4月6日)
弥生織りの会が復元した「原始機」とそっくりの埴輪が栃木県で出土しました。
栃木県下野市(しもつけし)の甲塚古墳より、女性が機織り機で布を織る様子を表した「機織形(はたおりがた)埴輪(はにわ)」が2体見つかったと発表されました。
布を織る埴輪が出土したのは全国で初めてのことだそうです。2体の機織形埴輪のうち、1体が弥生時代から古墳時代に使われていた「原始機(げんしばた)」の形状を表していると市の教育委員会が説明しています。
弥生時代の原始機は、下之郷史跡公園で活動している「弥生織りの会」が東村さん(福井大学講師)の指導のもと復元して、実際に手織りで使っているものと同じです。 読売新聞では、機織形埴輪発見の記事「古代の衣料事情 解きほぐす」の中で、「弥生織りの会」のこの活動を紹介しており、次のように書いています。
「出土した部材から、台湾の先住民の技術を参考に原始機を再現した。今回の埴輪の復元で再現が正しかったことが裏付けられた」
併せて、実際に復元した原始機で織物をしている写真が掲載されています。
写真は下野市広報資料より転載し一部加工
弥生時代の原始機は、下之郷史跡公園で活動している「弥生織りの会」が東村さん(福井大学講師)の指導のもと復元して、実際に手織りで使っているものと同じです。 読売新聞では、機織形埴輪発見の記事「古代の衣料事情 解きほぐす」の中で、「弥生織りの会」のこの活動を紹介しており、次のように書いています。
「出土した部材から、台湾の先住民の技術を参考に原始機を再現した。今回の埴輪の復元で再現が正しかったことが裏付けられた」
併せて、実際に復元した原始機で織物をしている写真が掲載されています。
下左の写真は、復元した原始機を操作しているところです(新聞に掲載されたものとは別)
下右の写真は、原始機の構造を示しています(写真とは向きが左右逆になっています)