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 稲と雑穀の会
稲と雑穀の会の紹介
「稲と雑穀の会」では、かつて大昔、この地で栽培し食べられていた植物を現地で実験栽培し、収穫した米や雑穀を調理試食し、弥生人たちの生活の知恵や農耕文化を実践しながら学び、現代の生活に活かしていこうと活動しています。

下之郷遺跡から2200年前の稲籾や農耕の道具や、雑穀の種や果実などの植物遺体が発見されています。
 ・弥生時代、どのようなお米や雑穀を作っくていたのだろう?
 ・どのような方法で栽培し収穫していたのだろう?
 ・どのように調理し、どのような食事内容だったのだろう?

下之郷遺跡の発掘や、整理作業に携わっていた人、博物館で田んぼの生き物調査をしていた人たちが、このような疑問を感じ、赤米を食べてみよう、古代米のことを勉強しよう・・・という
活動が始まりました。
平成17年、守山市文化財保護課のサポートのもと「稲と雑穀の会」を結成し、古代の米・雑穀に詳しい学者の方々を
招いて勉強会からスタートしました。

「稲と雑穀の会」は
 ・出所のはっきりしている古い品種の米、雑穀を育てる
 ・当時の稲作の方法を推測して、同じように栽培する
 ・収穫した米や雑穀を古い時代のやり方で調理し試食する

ことを基本理念として活動しています。

指導して頂いた先生方のおかげで希少品種の古い在来稲米の育成にも成功し
 ・古い在来稲米の「種の保存」
も私たちの大切な使命となっています。
またこれまでの活動の成果を伝える、文化講座、学習支援、完成した史跡公園の整備、維持管理などの
幅広い活動をしています。

下之郷で発掘された穀物の痕跡
環濠の中や井戸の中から2200年前の穀類、果実の遺体が発掘されています。 他の遺跡では見られない、炭化していない稲籾や果皮や果肉が残ったウリの果実などとても貴重なものです。
私たちは出土品にできるだけ近い種類の雑穀・果実をなんとか復活栽培できないものかとの思いで活動しています。

炭化していない稲籾
DNA分析の結果、温帯ジャポニカの他に、これまでの日本の遺跡では初めて「熱帯ジャポニカ」が多く含まれていることが判りました。
稲の伝搬ルートの新知見です。
稲籾の中に混じって雑穀
自然科学分析の結果、栽培種のアワと思われる種が環濠の土砂の中から検出されました。
ヒエは栽培種ではなく、イヌビエであることが分かりました。
果皮や果肉が残ったウリの果実
DNA鑑定などの結果、遺跡と同時代のメロンと確認されました。果肉の出土は世界初めてと思われます。
品種的にはマクワウリやシロウリに近いものと思われます。
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古代米とは

古代米の定義


農林水産省によると
「古代米」とは、私たちの祖先が栽培していた、いわば「古代の稲の品種」が持っていた特色を色濃く残した稲のことだと考えられます。そのなかでも、「赤米」や「紫黒米(黒米)」「香り米」という、玄米に色や香りを持った米は、品種改良の対象にもならず、現在でも日本や世界の一部の地域で栽培され続けています。

また、古代の稲が持っていた特色とは、次のように言われています。
「古代米は全体的に稲の草丈が長く倒れやすい。 生育力は高いが収穫量が低く、籾の先に長い"のぎ"がつき
脱粒性や種子休眠性があることが特徴で、野生種的な形質を有している。」

ここでは、古代の特質を有する稲を「古代米」と呼んで、私たちの活動を紹介していきます。
【参考】
稲の草丈のぎ
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赤米とは

赤米(あかごめ)とは、イネの栽培品種のうち主に種皮部分(玄米部分)にタンニン系の赤色色素を含む品種を
指します。したがって赤米とは品種名ではなく水稲にも陸稲にも、ウルチにもモチにも赤米があります。
日本では古来から栽培されていたが、品質面で白米に劣る品種と考えられ、昭和末までにほとんど
作られなくなりまた。
赤米の穂赤米の玄米
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指導して頂いた先生(敬称略)
 古代米 小川 正巳(県立広島大学生命環境学部)
 雑穀  阪本 寧男(元京都大学農学部)
 ウリ  藤下 典之(元大阪府立大学農学部)
 ウリ  田中 克典(元総合地球環境学研究所 現:弘前大学)


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