古代米・雑穀を使った料理
弥生時代の人たちはどのような食事をしていたのでしょう。お母さんは子供たちのためにおやつを作っていたかも知れません。
しかし、発掘された遺物からは料理・おやつまではうかがい知ることは難しいです。
そこで栽培した赤米や古代米、雑穀を使った料理・菓子を作ることにしました。
 ・古い文献に書かれている料理
 ・昭和初期の時代に地元で作っていた料理・菓子
などを推測も交えて作ってみました。
こうして作った料理・菓子を紹介します。最後にはレシピ集もありますよ。
お菓子(いくつか紹介します)
  写真をクリックするとレシピが表示されます

はぜのつくね 米こがしあめ
昭和の頃、稲の芽だしをして残った種籾がもったいない
ので、それを利用して作ったおやつという
昭和20年〜30年頃までは各家庭でもち米やさつまいもに麦芽糖を加えてアメを作り、おいしいおやつになった
写真 写真
ういろう[外郎] 赤じそ寒天
北京から来朝した陳外郎が作った薬が外郎薬であり、
それに似せた練り菓子が“ういろう”である。
しその歴史は古く、弥生時代の下之郷遺跡の
土の中から、しその種が出てくる
写真 写真

餅と団子
  写真をクリックするとレシピが表示されます

椿餅(つばいもちひ) 黒もち米のおはぎ
「源氏物語」や「宇津保物語」に出てくる
蹴まりの時などに携行された
黒もち米は、古代中国ではごく少数の高貴な
方々のための宮廷料理に用いられ、白髪3千丈の
仙人の髪が真っ黒になったとか
写真 写真
いもつぶし 草だんご
昔は小米が多くあり、それと下之郷特産の
さといもの親芋の部分。どちらも捨てるのが
もったいないのでそれを利用したおやつ
よもぎは古代においては魔よけに使ったため
奈良朝廷献上食物の中には出てこない
草だんごには、ははこぐさが使われていた
写真 写真
ごはん
  写真をクリックするとレシピが表示されます

紅切(べにきり) 七種粥(ななしゅがゆ)
「和漢精進料理抄」1697年に書かれている料理
大唐米(赤米)8合、もち米2合、色赤くして見事なり
正月15日に大仏様にお供えするもので、僧侶も戴かれる
七種とは、赤米、アワ、ヒエ、キビ、ミノ、ごま、あずき
写真 写真


試食の感想
材料はほとんど自給自足。草類も国史跡下之郷遺跡の中の無農薬の水田の周りにあるもの。
「日本食物史」や「正倉院文書」などを参考にしたり、お年寄りの方から聞いた伝統食のレシピを参考に、
すべて、想像で作ったものばかりです。
作り始めたきっかけは、遺跡を考える会などでちょっとしたおやつに、なつかしい味を求めたり、話のネタに
したりで、買うものよりは手作りをモットーにしてきました。
お菓子のおいしいという味覚は"甘さ"にありますが、砂糖は古い時代には貴重品であったはずで、今回の
菓子作りでは余り使いませんでした。そのためおいしさにはちょっと欠けたと思います。
凝っているのはそれらを包んだり敷いたりする木の葉。ちょっと季節の花をあしらって目で食べる古代食です。
現代のもちもち食感より、お年寄りにはこしこし食感の米粉だんごが喜ばれます。
古代食レシピ集(上に紹介した以外の料理もたくさんあります)

mae top tugi